2023年の大河ドラマは徳川家康
2023年の大河ドラマが発表されました!タイトルは『どうする家康』。主人公は徳川家康、演じるのは嵐の松本潤さんです。家康といえば、超のつくドケチ、健康マニア、三方ヶ原の戦いで武田信玄に敗れ浜松城へ逃げ帰った際、恐怖のあまり脱糞してしまったなど、ちょっと格好悪いエピソードもある人ですが、ドラマにどれくらい反映されるのか楽しみなところ。今回はこちらのニュースにちなみ、徳川家康にゆかりのある4つのお城をご紹介します。
家康が生まれた城・岡崎城
家康は愛知県岡崎市にある岡崎城で生まれました。日本100名城45番のお城で、伊賀川と乙川が交差する三角州に立ち、岡崎公園として整備された城跡には、1959年に復興された3層5階建の天守、櫓、大手門、石垣、青海堀のほか、家康や本多忠勝の像、家康・忠勝を祀る龍城神社、三河武士のやかた家康館などがあります。
岡崎城の100名城スタンプ設置場所は、天守1Fのチケット売り場横のスペース。ブームがきている御城印も忘れずに買っていきましょう。岡崎城や家康の歴史が知りたい人は、天守や家康館を訪れるのがおすすめです。家康館には”映える”家康・徳川四天王の甲冑(レプリカ)などが展示されています。
古来より伝えられる龍神伝説
岡崎城の立つ高台は、古くから龍神が住むという言い伝えがあり、龍頭山と呼ばれていました。そのため、岡崎城は別名「龍城」「竜が城」とも呼ばれます。お城に隣接する龍城神社にも昇竜伝説が社伝として伝わっており、この神社の拝殿天上には国内最大級の見事な白木彫り昇龍が奉納されています。
岡崎城の前身は、康正1(1455)年頃に西郷稠頼・頼嗣父子が築いた砦で、当時は龍頭山城と呼ばれていました。その後、享禄4(1531)年に家康の祖父にあたる松平清康が城主となり、岡崎城と呼ばれるようになります。「岡崎」という名前の由来は、土地の形が龍や蛇のようにとぐろを巻いているようで「どこが尾か頭(さき)かわからない」→「尾か頭(さき)」→「おかさき」→「岡崎」となった説、単に丘の出崎(岬)に位置するので、「おかのでさき」→「岡崎」となった説などがあります。
家康がこの岡崎城で産声をあげたのは、天文11(1542)年のこと。幼名は竹千代。家康は6歳から織田氏、8歳から今川氏のもとへ人質に出されたので、彼自身がこの城で過ごした思い出はほとんどないかもしれません。長い人質生活を送った家康は、永禄3(1560)年に桶狭間の合戦で今川義元が織田信長に敗れたことをきっかけに独立し、約12年ぶりに岡崎城へ戻りました。以後、この城を拠点に三河を平定し、天下統一への道を歩み始めます。
現在、家康が生まれた二の丸の跡地には、家康がたしなんでいたことにちなみ、能楽堂が建てられています。また、お城の周辺の道などには「竹千代通り」「竹千代橋」など家康の幼名がつけられています。
元亀元(1570)年に家康が浜松城へ移ってからは、嫡男の信康や石川数正、本多重次などの重臣たちが岡崎城の城主・城代をつとめました。天正18(1590)年に家康が秀吉に関東へ移封された際は、秀吉の家臣である田中吉政が城主になりますが、家康が天下をとり、江戸幕府を開いて以降、岡崎城は“神君出生の城”として神聖視され、本多、水野、松平氏など格の高い譜代大名が代々城主をつとめました。