織田信長と岐阜城 — 「天下布武」はここから始まった

お城をめぐる楽しみのひとつは、そこに刻まれた歴史のドラマを感じること。今回は、日本100名城のひとつ「岐阜城」と、戦国時代のカリスマ・織田信長の関係を紐解いていきます。岐阜城は単なるお城ではなく、信長が「天下」という壮大な夢を本格的に掲げた、まさに運命のターニングポイントとなった場所なのです。


●稲葉山城から岐阜城へ — 名前に込められた野望

岐阜城がある金華山(標高329m)は、もともと鎌倉時代から砦が築かれていた要衝でした。戦国時代には美濃国の守護代・斎藤氏の居城「稲葉山城」として知られ、特に斎藤道三が城主だった時代には「マムシの道三」の異名とともに恐れられました。

「織田信長公時代の岐阜城図」— 山上の天守から山麓の居館・城下町まで描かれた貴重な絵図。信長時代の岐阜城の壮大なスケールが一目でわかる

1567年(永禄10年)、織田信長は斎藤氏を攻略し、この稲葉山城を手に入れます。そして信長がまず行ったのが、城と地名の改名でした。「稲葉山城」を「岐阜城」へ、「井口」という地名を「岐阜」へ。

「岐阜」という名前には、中国の周の文王が岐山から天下を平定した故事にちなんだという説がある。つまり、信長は名前を変えることで「ここから天下を取る」という宣言をしたのだ。

城の名前を変えるだけでこのスケール感。信長らしい大胆さですね。


●「天下布武」— 岐阜城で生まれた天下統一のスローガン

岐阜城に移った信長は、印章に「天下布武(てんかふぶ)」の文字を使い始めます。「武をもって天下を治める」という意味のこの言葉は、信長の政治方針を端的に表したものでした。

ここでいう「天下」が日本全国を指していたのか、それとも畿内(京都周辺)を中心とした範囲だったのかについては、歴史家の間でも議論があります。しかし、いずれにせよ、一介の尾張の大名が「天下」を語り始めたのは当時としては衝撃的なことでした。

そして実際、信長はこの翌年(1568年)に足利義昭を奉じて上洛を果たし、言葉を行動に変えていきます。岐阜城はまさに、信長が地方の武将から天下人へと変貌する舞台だったのです。

青空をバックに石垣の上にそびえる岐阜城天守。織田木瓜の旗が並ぶ姿は、信長の威光を今に伝えているかのようだ

●信長流おもてなし — 岐阜城の華やかな一面

戦の拠点としてのイメージが強い岐阜城ですが、実は信長の「外交の舞台」としても重要な役割を果たしていました。

宣教師ルイス・フロイスは岐阜城を訪れた際の印象を記録に残しており、山上の城と山麓の居館の壮麗さに驚嘆しています。信長は山麓に豪華な居館を構え、庭園を整備し、来訪者をもてなしました。金箔で飾られた部屋、鷹狩りの接待、盛大な宴席。信長のおもてなしは、武力だけでなく文化的な豊かさで相手を圧倒する、一種の外交戦略だったと考えられています。

岐阜城天守に掲げられた織田家の家紋「織田木瓜(おだもっこう)」。鮮やかな青地に金の紋が映え、信長の権威と格式を今に伝えている

現在、岐阜城のふもと(岐阜公園内)では信長の居館跡の発掘調査が進められており、金箔瓦の破片なども出土しています。お城めぐりの際には、天守だけでなくぜひ山麓の居館跡エリアも歩いてみてください。当時の華やかさの片鱗を感じることができます。


●岐阜城へ行こう — 見どころガイド

実際に岐阜城を訪れるなら、ぜひ押さえておきたいポイントをご紹介します。

織田家の旗が並ぶ登山道。石段を登る臨場感がたまらない

金華山ロープウェーで山頂へ — 岐阜公園から山頂までロープウェーで約4分。手軽に山城体験ができます。もちろん登山道を歩いて登ることもできるので、体力に自信のある方は「めい想の小径」などの登山ルートにチャレンジしてみるのもおすすめです。

天守からの絶景 — 山頂の天守(復興天守)からは、長良川や濃尾平野を一望できます。信長がこの景色を眺めながら天下を構想したと思うと、感慨もひとしおです。晴れた日には遠くに雪をかぶった山々まで見渡せることも。

天守の展望台から望む長良川と濃尾平野の大パノラマ。遠くには雪をかぶった山々も見える。信長もこの景色を眺めながら「天下布武」を思い描いたのだろうか

岐阜城資料館 — 天守のそばにある資料館では、岐阜城の歴史や発掘調査の成果が展示されています。信長時代の岐阜城の姿をイメージする手助けになります。

信長居館跡(岐阜公園内) — 山麓にある信長の居館跡は、発掘調査で巨石を使った庭園の遺構や金箔瓦が確認されています。天守と合わせて訪れることで、山上の軍事拠点と山麓の政治・文化拠点という、岐阜城の二面性を体感できます。


●岐阜城データ

城名 岐阜城(旧名:稲葉山城)
所在地 岐阜県岐阜市金華山天守閣18
城の形態 山城
築城年 1201年頃(稲葉山城として)
主な城主 二階堂氏、斎藤氏、織田信長 ほか
日本100名城 No.39
アクセス JR岐阜駅からバス約15分「岐阜公園・歴史博物館前」下車

●信長ゆかりのお城をもっと巡ろう

織田信長は生涯でいくつもの城を拠点としました。岐阜城を訪れたら、ぜひ他の「信長の城」にも足を運んでみてください。

🏯 清須城 → 若き日の信長が桶狭間の戦いへ出陣した城。信長の躍進の原点ともいえる場所

🏯 小牧山城(続100名城 No.149) → 美濃攻略の前線基地として信長が築いた城。近年の発掘調査で石垣が注目を集めている

🏯 安土城(日本100名城 No.51) → 岐阜城の次に本拠を移した、信長最後の城。日本初の本格的な天主を持つ革新的な城だった

これらの城を順に巡ることで、信長の成長と野望のスケールアップを追体験できます。「お城巡り手帳」アプリを使えば、訪問した城の記録を残しながら信長の足跡をたどることができますよ。

また、「戦国武将」アプリでは、織田信長をはじめとする戦国武将たちの人物像や合戦のエピソードを自分で作成できます。


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